へっぽこネットワークエンジニアのにっき

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じいちゃんの葬式

はじめに

久々に書くブログだけど、あまり読んでて楽しくないし、無駄に長いし、つまらないとおもう。
書いている自分もきっと、この後見るかといったら見ないかもしれない。
でもきっと時間が経てば色々と忘れてしまうから、今残しておいたほうがいいと思った。
そこそこ落ち着いたから勢いで書くし、草稿もしないし、まとまりもない。
誤字脱字多数あるかも知れない。
4月5日 AM3:00頃 なんとなく、目が覚めた。

その後、しばらくと時間をおかずに携帯が鳴った。
発信者を見て、ああ、そうか。と思った。

母親からだった。

なにより、母親が今までになく気持ちが乱れてたのに驚いた。

ただ一言泣きながらじいちゃんが死んでしまった、と。それだけ伝えられて電話を一方的に切られた。

一週間ほど前に父から連絡があって、じいちゃんが入院したことを告げられたので
まぁ、歳だしそこそこの覚悟はしていたが、今覚えば、震災で新幹線も高速も使えない中でも
車ふっ飛ばして会いに行っていればよかったと、後悔している。

最後にあったのは去年の夏の暮れ、父が病気になって入院したときだった。
そのときちょうど仕事を辞めていて、何もしていないときだった。

いつも実家に帰ったときは特に会話もせずに、テレビばっかり見ていたじいちゃん。
こっちに戻るときは

「いつものこったけど、体ばり気をつけてな」
(いつものことだけど、からだだけはきをつけてな)

といって、歯がなくなった顔でくしゃくしゃになって笑って送り出してくれた。

正直、物心ついたときから特に会話をあまりしていなかったので、もしそういうことが起こったとしても、ショックは起こらないだろうと思ったが、知らせを聞いたときは涙がゆっくりと、とめどなく流れてきた。


じいちゃんは、いわゆるシベリア抑留を経験していた。
家には、竹下登、麻生太郎、そして管直人など歴代の総理大臣から
あんなひどい経験をさせてすみませんでした的な内容が書かれたものが飾ってある。


死因は肺炎だった。

原因は、あの3.11の震災なんだろうと思う。

実家は、2008年6月14日に起こった岩手・宮城内陸地震の震源地と
2011年3月11日、今回津波被害の多かった気仙沼、南三陸付近との調度中間付近といったらいいだろうか、大まかに言えばそうだ。

その2つの地震でも家は倒壊することなく、健在している
そして、その2つの地震で相当揺れていたにもかかわらず、じいちゃんは家からでることなく、居間にあるたんすが倒れないように必死におさえていたそうだ。

今回は一週間ほどの停電が起こったし、その期間、寒かった。
そこで家族全員が風邪を引いてしまった。

あの世代は、両極端で、ちょっとのことで直ぐに病院へ行くタイプと、何が起こっても病院にいかないタイプに分かれると思う、で、じいちゃんは後者である。

後から聞いたが、なかなか病院に行かなかったらしいが、診療所には自転車で自分で行ったというから、驚いた。
そしてそこで、肺炎と診断され、近くの総合病院へ転送された。

入院したときも、点滴などすべてのチューブを自ら何度も外して暴れたらしい。
あまりに暴れすぎたため、両手両足を縛ったが、それも自分で外したらしい。

らしい、といえばらしいのかもしれない。

じいちゃんは、孫には優しいが、親の世代にはものすごく厳しい(らしい)
昭和ではなく、「戦前」の家庭そのもので、じいちゃんは家の王であり、じいちゃんの言うことは絶対だったとの事。

そしてじいちゃんは自分の国から外へでることは、あまり無かった。

ばぁちゃんは、息子(自分から見れば叔父)を産んだときは帝王切開だったそうだが、産んだ3日後にはもう畑仕事をさせられたらしいし、胆石を取って入院したときも、稲刈りの時期だからと早々に退院させて稲刈りをさせられたといっていた。

そしてその叔父は、厳しかった祖父に反発し、家を継ぐことを拒否し、一旦は家族の縁を切った。
長女である母が家を継ぐことをし、父は頑なに拒否をしたが、最終的には父が折れて養子という形になった。
ちょうど高校を卒業し、上京するタイミングだった。

なので、高校の卒業まえと後では、自分の苗字が違う。
今ではああ、そういえばそうだったかくらいのものではあるが。

まぁ、それはどうでもいいか。

会社に許可を取って実家に帰った

新幹線は当然、途中までしか動いていないので、レンタカーを借りて高速道路を飛ばして帰った。

思いのほか、母親は元気だった。

葬式というのは、悲しみを紛らわすために色々と忙しくさせていると聞いたことがあるが、どうやら本当らしい。

焼かれる前にじいちゃんにあえてよかったと思う。

眠るように静かに息を引き取ったというのは、苦しまなくてよかったと思う。

ばあちゃんは

「60年ずっと一緒にいると涙も出ないよ」といっていた。
もう、夫婦というよりは、戦友みたいなもんだろうか。

よくじいちゃんが生きてた時は、さっさと死んでくれないかと冗談で言っていた。

今回も、一人になったから、これから青春を謳歌しますと、笑っていた。

泣いていたようにも見えた。

一年程くらい前からだろうか、縁をきった叔父さんが、ひょっこり戻ってきた。
ちょくちょく実家に顔を出すようになった。
正直、父は面白く無いと思っただろう。

色々迷惑をかけてきた叔父だが、手のかかる息子ほどかわいいというのだろうか。

晩年に息子に会えてよかったんだろうな。きっと。
葬式で息子にちゃんと見送ってもらえてよかったんだろうな、きっと。

火葬が終わった日の夜、父の愚痴をいろいろと聞いていたら
震度6強の地震が襲った。

幸い誰も怪我することは無かったが、停電になり、その日は家族全員が、居間で石油ストーブをたきながら寝た。

翌日も停電は続いた。近所の人から発電機を借りて通夜を行った。
自分は、前日夜の影響か、頭痛を引き起こしずっと眠っていた。

そして葬式。順番は違うのかもしれないけど、この震災の影響で火葬場の予約が取れなかっため、やむなく順番を変更したそうだ。

葬式も無事終わり、お骨もお墓に治めた。
その日の夜に電気は復旧した。

そして、その日の夜に自分は戻った。

改めて思った。

みんな、年をとった。

そりゃそうだ、自分は34歳だ。

今後、こういうことが増えていく。
大人になるということはそういうことなんだろうか。

最後に、ばあちゃん含め全員が同じ事を言っていた。
じいちゃんは、やりたいことを全部やって死んだから、よかっただろう、と。

今まではやってなかったけど、これからは、実家に帰ったときにはお墓参りをしよう。

たぶん。きっと。

平成23年4月5日

祖父 武夫 永眠

合掌
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コメント

コメント頂いた方、すいません。
誤って削除してしまいました

  • 2011/04/24(日) 23:45:14 |
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  • heppoko #3jISyIMY
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